<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom" version="2.0"><channel><title><![CDATA[attemoiina]]></title><description><![CDATA[attemoiina]]></description><link>https://attemoiina2025.wixsite.com/attemoiina/blog</link><generator>RSS for Node</generator><lastBuildDate>Thu, 30 Apr 2026 07:16:58 GMT</lastBuildDate><atom:link href="https://attemoiina2025.wixsite.com/attemoiina/blog-feed.xml" rel="self" type="application/rss+xml"/><item><title><![CDATA[教室内で意識していること]]></title><description><![CDATA[「どんな教室ですか？」 「何を意識して相手と接していますか？」 先日、初めての方にそう聞かれて答えたことを振り返りながらここに残しておきます。 先ず、気を付けているのは、 自分がされて嫌なことをしない。ことです。 嫌とまではいかなくても、こうだったら楽だなってことをします。 例えば、ガラガラっと扉を開けた瞬間に （実際は開けっ放しなので開けませんが） 「〇〇さん、ようこそ～！」と満面の笑みで迎える、ということはしません。 私は丸付けをしたり、本を読んだり、自分の作業をしています。 部屋に入ってきた気配を感じても、少ししてから、「あっ、おはよう」と、さり気なく挨拶をする。 相手が返すかどうかも待たずに、目線はまた落とします。 服がおしゃれだったり、バッグのキーホルダーが変わっていたりしたら聞いてみます。 （これは単に私の興味です。） 話したそうな人には「もうちょっと詳しく聞かせて」と掘ることもあるけれど、基本はパーソナルスペースを荒らさない。 みんなの前で話したい人もいれば、そうじゃない人もいます。 たとえ人前で明るく話すタイプの子でも、中盤や後半、人数が少なくなったタイミングで、...]]></description><link>https://attemoiina2025.wixsite.com/attemoiina/post/%E6%95%99%E5%AE%A4%E5%86%85%E3%81%A7%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8</link><guid isPermaLink="false">69a272233a2716aeb218ca0e</guid><pubDate>Sat, 28 Feb 2026 04:56:07 GMT</pubDate><dc:creator>ymss0429</dc:creator></item><item><title><![CDATA[遊べれば生きてける]]></title><description><![CDATA[「子どもの仕事は遊ぶこと」 とはよく言ったもので、今回は改めて「遊び」の重要性について考えてみます。 先ずはじめに、私は、遊べる人はそれだけで世の中生きていけると思っています。 何事も遊び心をもてば日常に味が出る。 これは説明する必要ありませんね。 他人と遊ぶ経験を積むことが、どのように、大人になって社会で生きていくことに繋がるのか。 私の小学校時代の実体験で例えてみます。 「今日は学校のグラウンド集合ね～」 と誰かが誰か達に声をかけて、さよならします。 放課後、 声をかけられた人も、かけられなかった人も、その場にいなかった別のクラスや学年の人も学校のグラウンドに集まります。 「じゃあいつも通り缶けりしよっか？やりたい人～」 ってその場で集まった人で遊びます。 隠れたり缶を蹴ったりするのが上手い子もいれば、 ずっと隠れて出てこない子、 缶から離れず捕まえに来ない鬼、 ズルする子、 勝手に抜ける子、 色んな人がいて、 臨機応変にハンデやルールを加えて、それなりに遊ぶわけです。 時には 「お前、鬼変われ」 「あんたつまらないから一旦抜けて」 みたいなことも起き...]]></description><link>https://attemoiina2025.wixsite.com/attemoiina/post/untitled</link><guid isPermaLink="false">6965fdd87d3bee3fd1036b61</guid><pubDate>Tue, 13 Jan 2026 08:28:04 GMT</pubDate><dc:creator>ymss0429</dc:creator></item><item><title><![CDATA[「大丈夫」って軽く言わないで]]></title><description><![CDATA[若者達に何か伝えたいことは？と聞かれたら、 大きく括って最終的には 「大丈夫と思えるようになれるといい」 と伝える気がします。 webサイトのメッセージにも 「何があっても大丈夫」「何もなくても大丈夫」 と書いていますので。 ですが私は、文章では書けども会話の中で使うことはあまりしないです。 何故なら 他人からしたら些細なことで、大丈夫って思えることでも、当の本人にとっては大きなことだからです。 もっと言えば 「大丈夫」「とりあえず」「結局」 みたいな言葉を乱発する人が私は得意でない。 安易に「考え方を変えればいいんだよ」 と価値観を押し付けられるのは好きではない。 例え、それが正しいとしても。 これは、大人と子どもの関係で多く見られる場面であり 特に親子では、ほぼこの図式が成り立ちます。 両者が対等な関係が望ましいのか、そうでないのか 各々、時と場合によるので一概には言えませんが 気づかないうちに教えてあげている気になってしまうのが我々大人です。 私が子ども無料塾をやっているのはこのようなケースを自覚しながら、 対等を意識して上手に子どもと接しているぞ！...]]></description><link>https://attemoiina2025.wixsite.com/attemoiina/post/%E3%80%8C%E5%A4%A7%E4%B8%88%E5%A4%AB%E3%80%8D%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%BB%BD%E3%81%8F%E8%A8%80%E3%82%8F%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A7</link><guid isPermaLink="false">69548b1b299c372795fae5be</guid><pubDate>Wed, 31 Dec 2025 02:43:01 GMT</pubDate><dc:creator>ymss0429</dc:creator></item><item><title><![CDATA[アッテモイイナへの想い]]></title><description><![CDATA[あってもいいがあってもいい 「誠実に」「軽やかに」「面白く」 （『ほぼ日』の「優しく　強く　面白く」 を参考に考えてみました） 〈こんなのがあってもいいな〉 将来の役にたたないことをする時間 めちゃめちゃ真剣になる瞬間 日常と非日常が混ざる時 失敗を笑ってくれる人 損してる人 かくしごと シャッターチャンスを逃したボツ写真 言葉にできない気持ち とびっきりの才能 蟻をずっと観察してしまうような 　理屈じゃなく抑えきれない衝動 私を引き立てる町人AやC 〈「あったらいいな」じゃダメなの？〉 「あったらいいな」だと、今が困っている状態で必要なものになるけれど 「あってもいいな」だと、無くても困ってなかったものや捨てても問題ないものっぽくなるでしょ⁉ 居場所づくり事業が「あったらいいな」だとしたら Attemoiinaは「何それ？」「へぇ～」っていう位置を狙ってる感じです('ω') 『幸せ』って現象・事象ではなく、感情だと思うんです。 例え、他人から見て生活環境が厳しくても、本人がどう感じているかで幸せ度は変わりますよね。 なので 後ろ指さされても上機嫌でいていいし...]]></description><link>https://attemoiina2025.wixsite.com/attemoiina/post/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%A2%E3%82%A4%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%83%B3%E3%81%84-attemoiina-1</link><guid isPermaLink="false">690071aac3fd1b9e87b5f5be</guid><pubDate>Tue, 28 Oct 2025 07:40:17 GMT</pubDate><dc:creator>ymss0429</dc:creator></item><item><title><![CDATA[『帰宅しない部』とは]]></title><description><![CDATA[『帰宅しない部』という名前は、お察しの通り『帰宅部』から連想しています。 バリバリゴリゴリに活動している部活が一番偉くて、 ゆるかったり、それなりにやっている部活は及第点。 部活を辞めたりやる気がなかったり訳ありの人が帰宅部。...]]></description><link>https://attemoiina2025.wixsite.com/attemoiina/post/%E3%80%8E%E5%B8%B0%E5%AE%85%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84%E9%83%A8%E3%80%8F%E3%81%A8%E3%81%AF</link><guid isPermaLink="false">68bd6ea502f8f0cc75db1dc2</guid><pubDate>Sun, 07 Sep 2025 11:48:31 GMT</pubDate><dc:creator>ymss0429</dc:creator></item><item><title><![CDATA[なぜ無料塾なのか]]></title><description><![CDATA[なぜ無料で塾をやることにしたのか？ 人間の目的は気分の良さを感じることで 私が見たい(気持ち良く感じる)景色は全力を出している姿なんだと思います。 それに基づいたらこうなったという感じです。 ものを買ったり、サービスを受ける時にコスパを考えますよね？ 割引セールで購入できたり、お値段以上のおもてなしを受けたりすると凄く得した気分になります。 私は閉店間際のタイムセール大好き人間ですが、その代償として割引品ばかりを見ていたり、ケチるばかりに高品質を知らない等の現象が生じています。 (低価格のコスパ発掘生活もいい気分を味わう一つなので、これはこれで〇) このように お金と等価交換で生活している限り、どれくらい時間とお金と情熱をかけるかの取捨選択から逃れることは出来ません。 私には相手が本当にこちらのために話してくれているのか、自分の利益のために言っているのか区別がつきません。 それは、自分が相手に話す時も然りです。 なので 無料にしたら、そういった駆け引きや相手のお財布事情を無視して最高のサービスが提供できると考えました。 私が好きなようにやっても文句は無いですよね？ 無料だから...]]></description><link>https://attemoiina2025.wixsite.com/attemoiina/post/__%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88</link><guid isPermaLink="false">689be32df6d3029a159737d2</guid><pubDate>Wed, 13 Aug 2025 00:58:22 GMT</pubDate><dc:creator>ymss0429</dc:creator></item></channel></rss>