top of page
検索

教室内で意識していること

  • ymss0429
  • 2月28日
  • 読了時間: 5分

「どんな教室ですか?」

「何を意識して相手と接していますか?」


先日、初めての方にそう聞かれて答えたことを振り返りながらここに残しておきます。


先ず、気を付けているのは、

自分がされて嫌なことをしない。ことです。


嫌とまではいかなくても、こうだったら楽だなってことをします。


例えば、ガラガラっと扉を開けた瞬間に

(実際は開けっ放しなので開けませんが)

「〇〇さん、ようこそ~!」と満面の笑みで迎える、ということはしません。


私は丸付けをしたり、本を読んだり、自分の作業をしています。

部屋に入ってきた気配を感じても、少ししてから、「あっ、おはよう」と、さり気なく挨拶をする。

相手が返すかどうかも待たずに、目線はまた落とします。


服がおしゃれだったり、バッグのキーホルダーが変わっていたりしたら聞いてみます。

(これは単に私の興味です。)


話したそうな人には「もうちょっと詳しく聞かせて」と掘ることもあるけれど、基本はパーソナルスペースを荒らさない。

みんなの前で話したい人もいれば、そうじゃない人もいます。

たとえ人前で明るく話すタイプの子でも、中盤や後半、人数が少なくなったタイミングで、

「〇〇のことなんだけど〜」と、落ち着いたところで聞いてみたいことを聞く。


それくらいの距離感を意識しています。

私自身、見られている状態があまり得意ではないので、基本は無関心を装って他のことをしています。


お店で店員さんにじっと見られて、

(いつまで迷ってるんだよ)

(こっちは準備してますよ)

みたいなオーラを感じてしまうこと、ありませんか?


ここは自宅ではないので、共生スイッチはON。

なんだけど、リモコンがいつでも使える待機電源ONくらいでいいと思っています。



他に意識しているのは、

「良くなりましょう」「改善します」みたいなコンセプトを、前面に出さないことです。


向上心はめちゃくちゃ大事。

でも、現状を不完全な状態とは捉えたくないんですよね。


恐怖心が行動の一番の動機になる、というのは分かっています。

ただ、それを使ってしまうとネガティブ発信からのスタートになってしまうから

「いいことしてますよ」「良くなりますよ」

そういうのはもちろんあっていい。

でも、そうじゃない状態も、別にいい。


「一人になりたい」とか「闇落ちしている」とか、

「殻を被っていたい」「本音を話さない」とか、

そういう状態でも別にいい。


一人になりたいなら、一人でいい。

一人だけど、一人じゃない。


そんな距離感がいいなと思っています。


本当に完全に一人だと、どんどん入り込んでしまうから。

(安心して)一人でいられる、という状態を大事にしたい。


「何もできていないな」「何もしたくないな」「これでいいのか」

そういう不安があっても、それはそれで「しょうがないよね」という感覚です。

そこを否定していたら進めないし

そこを肯定することからしか、進めない。

そんなふうに思っています。


これは、「勉強ができるようになりたい」という子に勉強を教える、『子ども無料塾』の活動と矛盾しているとは思っていません。


「こうなりたい」という思いがあって、それに対する行動ができずイライラするなら

願望実現の応援をする。という感覚です。

だから、

何もしたくない人は、何もしなくていい。

何かしたい人は、すればいい。

頑張って自分をさらけ出す必要もなく

頑張って我慢して努力しなくてもいい。


無理のない状態や、今の自分いいかもって思える姿

を見ている方が私の気持ちが落ち着く。


そこは一貫しています。



ちょっと残念なケースでよくあるのが、

こちらが様子を見ながら「この子にはこんな感じがいいかな」と掴めてきた頃に、相手の方が来なくなる、ということです。


行動してみて次に行くのは、いいことなんですけど。。


こちらは基本的に何かを強制的に提供しているわけではないので、受け取るつもりで来た場合や、周りから「行っておいで」と言われて来ている場合、保護者が「この場所いいな」と思っていても、本人は別に求めていない、ということもあります。


人は、変わらないことに安心感を持つので

「やっぱり違うかな」「別に行かなくてもいいかな」

等といった判断になるのも自然だと思います。


私自身も、見守るという逃げに回っているかもしれない。という葛藤はすごくあります。

ここら辺は難しい。



邪魔をしない


良くも悪くも、そこからのスタートです。

こちらも時間がかかるし、向こうも時間がかかる。

だから、「特に何もないから」という理由で、何回か来た後、来なくなることもあります。


せっかく「こんな感じがいいかな」と思って幾つか提案を用意した、丁度その次の週から会えなくなる。

そんなことも、これまでに何度かありました。


否定しない=肯定するではないし

求めてるものが得られない→苦になる

が必ず成り立つとも限らない


難しい所ですが、結局はお互いのタイミングが今ではなかったんだなって切り替えるようにはしています。

一方で、どこかでもう一度があるかもしれないと心の隅には置いてあります。



さて、私が意識していることが多少なりとも伝わったでしょうか?


私は、嫌だなと思うことが多すぎて、それをやらないようにしていった結果、気がつけば「何もしない」に行き着きました。

でも、それだけだと少し寂しい。


だから、薄っすらと繋がっておくくらいの距離感で、関われたらいいなと思っています。


とは言いながら、

他の集団には出せない特別な場所を提供できている自負は、かなり有りまして、

本気でもう少し人が増えてくれたらいいなって思っています。


オンラインだけでも〇

月1くらいでも〇

文字のやり取りだけでも〇

なので

もしタイミングが合いそうだったら、いつでもふらっと訪ねてみてください。


意外と公式LINEだけ、メールだけのやり取りの方もいます。(市外、県外も)

一方で、オフラインで繋がっている方は、雑談や相談など、オンラインのやり取りが少ないのも伝えておきます。



予備電源はONにしておきますので

いつでもご連絡お待ちしております(❀ᴗ͈ˬᴗ͈)"


 
 
 

最新記事

すべて表示
発信しないと存在しない世界で、あえて「余白」を取り入れる鍛錬

最近、あるタレントさんが配信番組の中で 「今の世の中、SNSなどで表現をやっていないと、存在していないことになるのが嫌だ」 と語っていたのを聞いて、深く共感しました。 「発信すること」「言語化すること」が世界のスタンダードになりつつある現代。確かに、言葉にして伝えなければ分からないことはたくさんあります。 しかし一方で、日本の文化には昔から「言葉に出来なくても分かること」や、「言葉にした途端に陳腐

 
 
 
遊べれば生きてける

「子どもの仕事は遊ぶこと」 とはよく言ったもので、今回は改めて「遊び」の重要性について考えてみます。 先ずはじめに、私は、遊べる人はそれだけで世の中生きていけると思っています。 何事も遊び心をもてば日常に味が出る。 これは説明する必要ありませんね。 他人と遊ぶ経験を積むことが、どのように、大人になって社会で生きていくことに繋がるのか。 私の小学校時代の実体験で例えてみます。 「今日は学校のグラウン

 
 
 
「大丈夫」って軽く言わないで

若者達に何か伝えたいことは?と聞かれたら、 大きく括って最終的には 「大丈夫と思えるようになれるといい」 と伝える気がします。 webサイトのメッセージにも 「何があっても大丈夫」「何もなくても大丈夫」 と書いていますので。 ですが私は、文章では書けども会話の中で使うことはあまりしないです。 何故なら 他人からしたら些細なことで、大丈夫って思えることでも、当の本人にとっては大きなことだからです。

 
 
 

コメント


bottom of page