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農業は一人でもできるけど、一人では続けられない

  • ymss0429
  • 7月24日
  • 読了時間: 9分

今回はちょっと話を変えて、農業のことについて書いてみたいと思います。

私は今、個人経営の農家さんのところで働かせてもらっています。 農業のいいところを聞かれたら、まず真っ先に挙げたいのが「やりがいの分かりやすさ」です。

草を取ればそこは綺麗になる。肥料をあげれば生育が良くなる。そうやって育てた作物が、ダイレクトに食べ物として収穫できる。このシンプルさが、単純にいいなと思うんです。

うちでは一般的な慣行栽培だけでなく、農薬を減らした特別栽培米や、無農薬栽培にも取り組んでいます。特別栽培米は基準よりさらに農薬を減らしていて、そうやって育てたものを自分達で食べる暮らしは、豊かだなと感じます。


もうひとつ大きいのが、人を相手にする仕事じゃないということです。

もちろん気候には振り回されます。日曜日だろうが雨だろうが、やらなきゃいけない時はやらなきゃいけない。でも、人間関係の複雑さやめんどくささに比べたら、それはずっと気楽だなと感じています。夏場は早朝と夕方に働いて長い昼休みがあったり、冬場は春夏の繁忙期分の振替で勤務時間が少なめだったりするメリハリも悪くないです。作業中は音楽を聴きながらでもいいと言ってもらえているので、長めのポッドキャストやYouTubeのラジオ系コンテンツを聴きながら作業できるのも、地味ながら大分ありがたいところですね。


お世話になっている農業さんは、一年を通して仕事があり、それが経済としてもぐるぐる回っている仕組みになってのもいいなって思います。

うちでは米と大豆をメインに作っていて、田植えが終わったら大豆を植える。夏にはトウモロコシを収穫する。秋になると稲刈り、そして大豆の収穫。冬にはその米で麹をつくり、大豆を合わせて味噌を仕込みます。あとは冬場のキャベツも、主な農作物のひとつです。

米麹は、粘り気の強い新米より古米の方が適していたり、減農薬で毎日気軽に使える味噌以外に、米も大豆も無農薬のおもてなし用味噌は地元の工房から厳選した塩を仕入れて地産にもこだわったり。

こうして一年のサイクルの中で作物がぐるぐる循環していく仕組みは素敵ですよね。


農業は一人で黙々と土と向き合っているイメージがあり、実際、人を相手にしない気楽さは確かにあります。

でも、中に入ってみると、思っていた以上にいろんな人が関わっている。それに気づいたのは、働き始めてしばらく経ってからでした。


農協ってそんなに悪いの?

農産物の売り先はいろいろです。例えば、お米は生産のみで全部農協に出荷する農家さんも多いですが、うちでは無農薬や減農薬のお米は自分たちで販売します。今は米価がぐっと上がっていますが市場のようには上げず、その代わり仮に米価が急落した時はお客さんに支えてもらう。家畜を飼っているところには飼料用の米を卸します。トウモロコシは飲食店の方が材料として買ってくれたり、お店で売ってくれたり、産直販売所に出したり。味噌はスーパーや道の駅などに置いてもらったり、ホテルや飲食店に数十キロ単位で卸したり、他には農協経由で「味噌を買いたい」という問い合わせがこちらに回ってくることもあります。

米味噌などは正直、イベント出店で飛ぶように売れることはないですが、生産農家がイベントに参加することに価値があったり、地道な顔合わせの場でもあります。


ニュースだと、農協が間に入ることで米の需要と供給が歪んでいるとか、仲介で甘い汁を吸っているとか、あまり良く言われないこともあります。ですが、実際に携わってみると、印象はだいぶ違います。肥料や土、薬品、機械の購入、不作の原因調査や収量増の助言、資金繰りの相談まで、農協はいろいろな面で農家を支えてくれています。基本的に農協は農家から利益を搾り取る立場ではなく、農家に還元するための組織として存在しているので、例えば、燃料が高騰している時期には、「来週になったら安くなるから、ちょっと今は我慢して」と融通してくれたりもします。

新しく何かを始めたい農家さんがいるときも、農協や農業委員会が間に入ってくれます。「ネギを来年から作ってみたい」というような相談があると、いきなり広い土地を借りるのは大変だろうからと、経験のある農家に「1回話を聞いてあげて、試しに畑を少し貸してやってくれないだろうか」とつないでくれる。高齢化で農地を手放さなければならなくなったときも、引き継いでくれる人を探して間に入ってくれるのは、こうした人たちです。 損得勘定だけでは行き届かない面倒くささと配慮といったところでしょうか。


耕作放棄地を出さないための、地味な積み重ね

特に、耕作放棄地を出さないようにする、というのはかなり意識されていることだと感じます。 一度手入れをやめて草だらけにしてしまうと、そこから作物を作れる状態に戻すのはとても大変です。放置していても除草剤や草刈りで管理し続けなければならないので、それなら作物を作っていたほうがいいですよね。

もうどうしようもなくて草刈りだけ頼まれることもありますが、なるべく土地は有効に使いたいということで、農協や農業委員会だけでなく、分区ごとの地域の話し合いでも相談が行われています。

細かい例だと、身体がもたなくて農地を続けられなくなった方が農地を借りて欲しいけど、〇〇は嫌だ。××して欲しいなど、依頼(地主)側が強く出過ぎて困るという話がありました。傍から聞く感じだと、「そんなワガママいってたら相手にしなけれりゃ」って思いますが、地域の方々は、お世話になってきたご年配の方だからと、周りの人たちがやんわりと間に入り、複数人で外堀を固めながら交渉して納得してもらっていました。そういうやり取りは、地域だなぁと感じます。

用水の管理や道路沿い整備なども分区の仕事です。農地に水を引くにはポンプなどの設備にお金がかかっていて、その管理を地域で分担する仕組みがあります。用水路が詰まらないよう泥上げをしたり、行政の代わりに草刈りをしたり砂利を敷いたり。こうした目に見えない部分の環境整備を、分区作業で農家さんたちが中心になって担っています。どこそこの空き地が荒れているという声が上がれば、分区に連絡が入り、そこからまた次の相談につながっていくこともあります。

農業は人と関わらずにできるといえばできますが、こうした助け合いの仕組みがかなり細かく張り巡らされているのだと感じます。

大企業が広い農地をまとめて効率的に運営するようなやり方も、国土の生産を強くするという意味では必要な一方で、年配の方や小規模農家さんがまだまだ多い中、その両方を守っていくバランスが大事だと思います。


とにかく「つながり」

無農薬は、やればやるほど割に合わないって思う時があります。値段が高く設定できるとはいえ、小規模農家の除草作業はひたすら手作業です。全部やりきるのは無理だけどどこまでやるか?自然農法でも考え方は様々です。うちでは、就労支援の共同作業所の方に来てもらって作業を手伝ってもらっています。これも人づてから始まっています。


無農薬や自然栽培をしている生産者同士で、勉強会のような形で情報を共有し合うこともあります。「うちはこうやっている」「こういう考え方もある」と話し合ったり、県外まで視察に行ったり。他には、任意で販売組合を作って、それぞれが「うちはお米」「うちは大豆」「うちは野菜」と持ち寄り、週に1回注文を集めて集荷・販売するという形で協力し合っています。地元だけでなく、東京など遠方から定期的に注文があります。


大豆組合という生産組合も、よくできた仕組みだと感じます。大豆はもともと、お米を作りすぎて余ってしまうのを防ぐための減反政策の中で、米の代わりに作ると補助金が出る、という形で広がったと認識しています。しかし、大豆はお米と同じくらい収益になる一方、連作にはあまり向いていません。4〜5年と作り続けると地力が弱まって育ちが悪くなります。米・大豆・麦などをローテーションしていくのが望ましいと言われますが、米は連作に強くて圧倒的優秀すぎるので米を作れる圃場はなるべく水田にするのが一般的です。

大豆は米と逆で、乾燥した圃場で栽培に適しているため、用水を引っ張ってこれない場所や、水持ちが悪い圃場でも育てられます。

大豆組合では、耕作放棄地になりそうな場所を引き受けたり、「田んぼが増えすぎたから減らしたい」という農家さんから圃場を借ります。まとまった場所が理想的ではあるものの、点在していても引き受けて、大豆を作っていく形です。農家さんたちが共同で機械などを購入し、米作りの合間に大豆の種まき・管理・収穫等をみんなで分担しています。共同作業を通じて、各々の情報交換やトラクタ作業練習の機会にもなっています。

国産、地物の大豆が確保できるということも、大事な意味を持っていると私は思っています。アメリカなどは国策として大豆生産に大きな補助金を投じているため、価格が安く抑えられているそうです。食べものはライフラインに直結する話なので、どの作物にどう向き合うかの考え方は難しいところだと思いますが、日本でも大豆に一定の補助金が充てられ、それによって成り立っている以上、一定の収量が求められるのも現実です。あまりに条件の悪い土地を丸投げされても、無理なものは無理だと断ることもあるので、そうやってバランスを取りながら、地域の農家さんや地主さん達と共存して仕組みが回っています。

とにかく、こういう小さな積み重ねを通じて「みんなで良くなっていく」という感覚を、農業に関わるようになってからすごく感じるようになりました。


このように、農業って一人で黙々とやっているイメージだったけど、実際に中に入ってみると、思っていた以上にいろんな人が関わっていました。

草取りや収穫のような日々の作業は確かに一人でもできます。でも、農地を維持していくことも、無農薬を続けていくことも、余った作物を無駄にしないことも、一人だけでは続けられない。周りとの細かいやり取りの積み重ねの上に、今の農業は成り立っているんだなと思います。


だからこそ、私は雇われ農家で住まいからちょっと離れた所で関わらせてもらっているのが絶妙に有難いです。大切な所ほど距離感は大事です。


今考えていることは、

無料塾や地域クラブとしての活動に加えてオンラインでも繋がる活動を広げる試みの中での資金繰り問題を、「農業」の人との関わりややりがいを活かして解決できないか。

除草作業は誰でもできるし、農産物購入も有難い。

なにより、私の仕事が楽になれば嬉しい。

お世話になっている農家さんや地域全体の底上げは私にとっても利益になります。

大きく仕組化を構想すると、農作業で人手がいる時にいつでも数名集められるような仕組みや、そのメンバー内で他の何かが生まれる状態をつくる。


そんな妄想ができる私は暇なんです。

 
 
 

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